美しいパリの最後の夜。ため息がこぼれる。私の住むアネッタのアトリエからは、大きな窓からエッフェル・タワーが見える。毎夜1時間ごとに、ダイヤモンドのごとく、きっらきらにイルミネートされるのを見ることができる。21世紀になるニューイヤーズ・イブの夜、初めてダイヤモンドのようにライトアップされ、そのときのパリ市民の評判がとてもよく、今でも1時間ごとに約10分、同じようにキラキラに輝くそう。 よく冷えたシャンパンのグラスを片手に、こんなすてきな夜があるだろうか。私はいま、パリにいる。
6月9日(月)
今日はフランス第2の都市、グルメで知られるリヨン(映画が初めて作られた街)へ足を伸ばす。工場から出てくる人々を描写した、リュミエール兄弟の世界初1895年のフィルムは、皆さんもどこかでごらんになったことがあるはず。彼らの功績をたたえる博物館は;http://www.institut-lumiere.org/english/frames.html 同じく、星の王子さまで知られるサン・テグジュペリもこの街の出身。今は空港の名前にまでなりました。
旧市街には、15世紀に建立された建物が、現在もアパートとして使用されているそう。フランス革命でさえ1789年に始まったのだから、(マリー・アントワネットやルイ16世などが、断頭台の露と消えた)それよりも300年ほど以前からそこにたたずんでいるというのはすごい! (アメリカ合衆国自体、建国後200年ちょっとだし。1776年独立宣言。)
ケーブルカーに乗って、ノートルダム・フルヴィエール教会へ。旧市街の町並みは、世界遺産だそう。
6月9日(月) 昨日は、朝からグルノーブル旧市街ののみの市を散策、すてきな手焼きのカフェオレ・カップをゲット。それからビジール城、現在はフランス革命の博物館を訪ねた。フランス革命の発端は、グルノーブルで市民が軍隊に瓦を投げたことから始まったそう。そして その後,最初にこのお城で会議が開かれたそうです。 お城と続く公園がまたすばらしい。大きな池、白鳥、整った花壇。超ゆったりくつろぎました。(写真は今回のアルプスを案内してくれたヤマモト氏とシャオリン。) そして昨晩は シャオリン(北京出身、ドイツで5年間、ドイツ語のマスター・デグリーを取得後、フランスへ。グルノーブルには5年在住、現在はフランス語のドクターをとる予定)という才媛の手による中国料理のホームパーティを開催してくれる。何を食べてもおいしいこと・・・ なんともすてきな、Grenoble.
6月7日(土) 昨日、グルノーブルへ移動。パリよりTGVでちょうど3時間。この週末は、せっかくなのでバケーション、アルプスの麓で一息。ゆうべは友人が、バスチーユ要塞へ案内してくれる。なんとシャボン玉のようなゴンドラに乗って、山の上まで。絶景。そしてそこにはすてきなレストランが。
そしてきょうは、リッチなサマー・リゾート、アヌシーへご招待。まっ透明な湖と運河に囲まれた、すてきなスモールタウンで、週末を過ごす。 そしてその晩はグルノーブルにて、友人主催のわたしの歓迎パーティ、いろんな12名が集まってくれました。
6月3日(火) ジャズ・シンガーのマルロットとリハーサル&ミーティング。今回は彼女のスペイン行きと重なってしまって、企画していたサロン・コンサートはやむなく延期。ぜひ次回には。今回、前回ライブを行ったラ・シャンメルでも演奏予定。またこの晩、最近人気のジャズ・カフェ、カフェ・ユニバーサルでは飛び入りで演奏することになり、やんやの喝采を受ける。 なかなか家に帰れない。パリ在住のミュージシャンの知り合いもどんどん増えつつあり、結構いい感じ。彼らはかたことでもたいがい英語もしゃべれるので、ありがたい。街中では、パリといえどもさすがなかなか英語だけだと厳しい。
パリの経済・ユーロが強く、$100を換金したところ51Euro。500ccのミネラル・ウオーターがスーパーで1.6Euro、約300円。小さなサンドイッチ(フランスパンにちょっとした生ハムやサンドライド・トマトが挟んである)が4.4Euro、約900円。 レストランなどはもうすべて、普段の生活の約2倍と思って丁度いい感じ。相当痩せました。(冗談だけど) パリの文化・もちろん大好きな美術館は健在。特別に今回どうしても行きたかった、モネのオランジェリーは明日特記するとして、はやりの映画、音楽、TVのゴールデンタイムのショーなど、日常で目や耳にするものがほとんどアメリカ製で、驚き。街中はどこもかしこもカンフー・パンダと、ピンクのサラ・ジェシカ・パーカー。文化の都パリは、いずこへ?
6月1日(日)パリ・シャルル・ド・ゴール空港へ定刻到着。しかし物事はそう簡単ではなかった。航空会社は、調整のためキャンセルや遅れが続発して非難囂々のアメリカン・エアライン。やっぱり。私のフライト120便は、翌朝8:30AMまで飛ばない。11時間遅れ。ほとんどの乗客はがっかり、ホテル・バウチャー(無料宿泊券)を、手に握りしめている。しかしここでアナウンスあり。「スーツ・ケースをチェック・インされていないお客様、ただいま搭乗中の別の便(前日出発予定のもの)にお乗りになれます、いらっしゃいませんか?」おお、それは、私。遅れて出発のその便に乗れば、パリには予定通りの時刻に着くだろう。もちろん友人が迎えに出てくれることになっているので、その時間に着きたい。「あああ、いいなあ〜」という他の乗客の視線を背中に受けながら、わたしは何とかその時刻にJFKを出発できたのでした・・・
到着後は、久々に帰郷したときの親戚周りのようなもの。はじから知り合いにご挨拶。4年ぶりのパリ。往年の知り合いであるモンパルナスにアトリエを持つ画家のアネッタは、ここのところ何度かガンの手術をしており、どうしても今回会っておきたかった。彼女のこぼれるような微笑みとハグ。ああ、とにかく来てよかった。何種類ものフランス菓子で歓迎され、最高の1日。写真は友人のフルート奏者カミーラの自宅、家族とともにお庭でブランチ。